川霧が立ち込める渓谷、一面の銀世界、
そして錦に色づく秋の風景まで。

四季折々の奥会津の風景をバックに、走り抜ける只見線の姿を捉え、発信してきた郷土写真家・星賢孝さん。
今ではその写真に魅せられた世界各国からの観光客が、奥会津を訪れるようになりました。
「みんな、俺と同じものを撮りたくて来る。でも、来ても撮れないから何回でも来るんだ。写真にはその力がある」
奥会津の風景を写真に撮り始めて30年。
今や、星さんは“星老師”として特に台湾で大人気。
文字どおり、奥会津を代表するスターです。
「写真撮る人は日本中行くべ? ここしか撮らねえなんて俺しかいねえ。それは俺が写真を撮るのが目的じゃねえからだ。奥会津や地域を元気にしたくてやってんだ。だから磐越西線とか会津鉄道撮ったって意味ねえんだわ」
毎日撮影スポットに出向いてはカメラを構えるという星さん。
絶景ポイントはすべて足で探して頭に入っていると言います。
「バカにされながらも毎日撮ってきた」
そのモチベーションの源は、自身のルーツにまで遡ります。
「俺は生まれ育った三更(みふけ)って集落を失くしてる。いずれ奥会津全部がそうなるかもしんに。ここは昔は農業林業で飯食ってそのあと公共事業に頼ってきた。それも前ほどは儲からなくなった今、元気にするのは観光しかない」
星さんと一緒に奥会津を周る撮影ツアーは大人気。
とっておきの撮影場所にも案内するサービス精神は、奥会津を盛り上げたいという思いがあるからこそ。
誰にも頼らず、SNSを使った地道な発信を続けてきたのも、自腹を切って東京・青山や台湾で行った個展も、すべては奥会津のため。
地元への深い愛が星さんを突き動かしています。
批判ややっかみはしょっちゅうですが、当の本人は「おれは冷や飯食うのは慣れてんだ」とどこ吹く風。

「これから川口—只見間が開通したら、また素晴らしい写真が撮れる。そんな風景は奥会津に無尽蔵にある。自然保護も大事だけど、人が手を加えなければ自然は死んでいくだけ。きちんと整備して、景観づくりをすすめていかねえとな」
 
地元をPRする活動を、地元民である自分が率先してやることに意味があると語る星さん。
ここに至るまでの歩みを振り返って「神様の導きかもしんね」とポツリ。
 
「霧幻峡だってや、ほんとはなかったんだ。40年くらい前に発電所を作るはずだったのを、俺と親父が大反対して計画を変えさせた。あとは就職した時。本当は東京の出版社を受けた。結果は不合格で地元の企業に就職したけど、親が死ぬ時に、ほんとはあの時受かってたって教えてくっちゃ。もし東京で働いてたら今の俺はねえ。人間の運命なんかどこで変わるかわかねんだ」
 
郷土写真家として星さんの活動は、続けていくことで多くの人の支持を集めるに至りました。
奥会津を世界へと発信したいという情熱と使命感に燃えて。
星さんがファインダー越しに見据えるのは、奥会津の未来です。