大内宿や前沢集落に代表されるように、
会津には多くの古民家群が今も残っています。

中でも奥会津は建て替えもほとんどされずに維持されている家がたくさん。
奥会津の風景を眺めているとどこか懐かしいような感じがするのは、そんな家々の姿があるからかもしれません。
これらの古民家で多いのは明治期の家。
家屋はもちろん、集落そのものが当時から(もしくはそれ以前から)存在していたと考えられます。
 
奥会津の古民家の特徴はというと、栗の木をふんだんに使っていること。
今でこそ、会津の山々の木は杉が大半ですが、かつては栗が多く生えており、食用としても建築の材料としても重宝されていました。
栗にはタンニンが含まれていてシロアリや木材を腐朽させる菌に強く、ある程度の重さにも堪えられる丈夫さを備えた木。
その上、加工性もよく、下ごしらえもしやすいメリットがあり、雪国の家を建てるにはもってこいの材だったと思われます。
また、土壁の下地となる木舞(こまい)には、竹が使われるのが一般的ですが、気候の関係で竹の少なかった会津では代わりに雑木や葦が使われました。
このほかにも、ミズナラ、栃、楓、センの木、朴の木、ブナなど多様な広葉樹が使われており、すべて近くの山から切り出されたものだそう。
使える材がほかになかったといえばそれまでですが、昔の大工さんは構造的な特性や虫やカビ、変色に強いかどうか、なども熟知しており、使い方に合った材を都度調達していたと考えられています。

現代まで残る奥会津の古民家も、単純に雨風をしのいで滞在できる空間としては、今後100年ほどは使い続けられるグレードであることが確認されています。それもひとえに丈夫で大きく作られているから。
家を建てた当時は何人もの大家族で暮らす目的があったのでしょう。
間取りを細かく分け、1軒の家の中にいくつもの部屋が作られました。

また、当時の農村といえば、人々は農作業のほかに山仕事や猟をし、家畜を飼い、時には職人仕事もする副業あっての暮らしがほとんど。
大工さんであれば家の中で木材を乾燥させ、保管し、ちょっとした家具も製作する、仕事場としての機能も有していました。
 
そういった“住まい+仕事”の家を、現代の核家族やサラリーマン的な暮らしに当てはめようとすると、どうしても不便な部分が出てきてしまうもの。
奥会津では、現に住む人のいない古民家が増えつつあります。
古民家は当然ながら新しく作ったりはできません。
特有の大きなスペースを活かした生業を見つけるなど、“住まい+α”の活用法が待たれています。