
「伝承語り部」をご存知でしょうか。
その土地で生まれた昔話や民話、実際の出来事や体験を、語り聞かせる役割を持った人を広く「語り部」と呼びますが「伝承語り部」は、両親や祖父母などから直接話を聞き、語りを受け継いだ人のこと。
県内でも数少ない「伝承語り部」のひとりが、三島町に暮らす五十嵐七重さんです。
「三島語り部ちゃんちゃんこ」というサークルで顧問を務め、県内外で語りを披露しています。
「伝承語り部はどんどんいなくなって、私でも若いほう。耳で聞いた言葉はね、忘れないのよ」
お隣、金山町の沼沢地区に7人姉妹の末っ子として生まれた五十嵐さん。
幼い頃から、両親や祖父母と夜な夜な“語り合いっこ”して育ったと言います。
「末っ子だから、親たちにもゆっくり話す余裕があったのかもしれない。そんな人は全国にいっぱいいたと思うけど、テレビができた頃から語り合うっていう習慣はなくなったんでねえかな」
昭和42年に三島町に嫁いだ時には、すでに語り部としての活動をはじめていた頃。保育士として、子供たちに語って聞かせるのが喜びだったと言います。聞く方の子供たちも五十嵐さんの話に釘付け。「しょんべんいくのも忘れてきいてたわ(笑)」と当時を振り返り、一層、語りの道にのめりこんでいったと言います。
「ある日、近所のおばあちゃんに呼び出されました。『おめはかたりやんだどな、
おれのかたりもきいてみてくろ』。そう言っていくつも話して聞かせてくれました。聞かせたい気持ちはあるのに、聞いてくれる人がいない。それでは語りは残りません」

そのおばあさんがどんな気持ちで、五十嵐さんに話してくれたのかはわかりません。ただ、自分の知る話を、誰かに託したいと願ったのは間違いないでしょう。
五十嵐さんは、三島町に残る語りを次世代につなぐべく、現代の語り部の養成にも力を入れています。
「『先生みたいに語りたい』って言ってくれる若い人もいるけど、それはただ
一字一句間違えないで語ることじゃないの。自分なりのふるさとの風景を思い描いて語ることで、その人にしか出ない言葉が出てくる。遠慮しないで語ってって伝えています」
しかし、現代の語り部にできるのは“再話”のみ。
“再話”とはあらかじめ聞き書きされた話を読み、それを自分のうちに取り込んで語ること。
それでも「この土地の昔話はこの土地に生まれ育った人が語り継いでくれることが大事」と五十嵐さん。
たとえ当人がこの世を去っても、語りの中には先人が見た風景や出来事が鮮やかに映し出されています。
いつか遠い未来の子孫にもその風景が見えるように。ふるさとの景色を忘れないように。
それが五十嵐さんの願いです。