1年のうち、約半年ほど雪に閉ざされる奥会津では、
さまざまな保存食が考え出されました。
ゼンマイ、ワラビ、凍み大根に打ち豆。
身欠きニシンやスルメ、海藻など保存に適した乾物も取り入れながら、素朴ですが豊かな食卓を作ってきたのです。
春に芽吹いた山菜は、乾燥させたり、塩漬けにしたり。
雪解けしたそばから次の冬の備えがはじまるのですから、雪国の人はせっかちです。
特に山菜などは採りどきを逃すと固くなったり育ちすぎておいしくなかったりとタイミングが大事ですから、のんびりしてはいられません。
山の時間に合わせて動くことが保存食作りの第一条件でした。
作っておかないと、冬に食べるものがないという危機感から保存食文化が発達したのは間違いありませんが、もうひとつ、単純に美味しかったからという視点もあったのではと想像します。

たとえば大根などは生から調理してもおいしいですが、凍み大根にして食べてもまた違った食感や味わいが楽しめます。
これしか食べるのがないから、ではなく、また食べたいから作る。
そうして保存食は各家庭で作られ続け、受け継がれてきたのかもしれません。
保存食は作るのはもちろん、食材として調理するにも、とにかく時間がかかります。
ゼンマイなら、山から採ってきてゆでてアク抜きし、乾燥させ揉むという、一連の工程はなかなかの大仕事。
しかも1時間おきに5、6回は揉み込まないと戻した時に良い食感にならないばかりか、完全に乾燥するまで2、3日間は繰り返さなければなりません。
食べる時も一晩水につけて戻し、茹でて冷水で締める作業を2、3度。こうしてようやく調理できる準備が整います。
“てまひま”という言葉がありますが、まさに保存食は作るのも食べるのも手間がかかるもの。そしてひま(時間)がなければできないものでした。
冬でもスーパーに気軽に買い出しに行くことができ、レトルトや冷凍食品がある現代は、保存食の意義も変わってきました。
同時に、働きに出たり日々忙しく過ぎていく中で、保存食作りに時間をかけられる人もどんどん減っています。
晴れた日にひなたでむしろに広げたゼンマイを揉むおばあちゃんの姿は、奥会津の原風景のひとつですが、近い将来そんな光景も見ることができなくなるのかもしれません。
自給自足の暮らしの最たる保存食作りを、いかに後世に残し、伝えるか。
工程に生じる「面倒」を、どうやったら「娯楽」に変えられるか。
むかしの人たちが食事にかけた労力や、記憶に残る味わいごと受け継ぐための手段や工夫が求められています。